コバヤシリョウ(1986年3月20日)

株式会社アニエラ代表取締役。
アニメや日本のサブカルチャーで『人生をもっと楽しく』することがミッション。

ネットショップ『アニエラ』を運営したり、長野県唯一最大のアニソン野外フェス『アニエラフェスタ』(動員3,000名以上)を開催したり、『普段使い出来る2次元グッズ』をコンセプトに商品開発したり、その他、色々な楽しい事を企画しています!

【参考記事】
『アニエラフェスタ』などに見る、脱・都市化したアニメシーン
『Digst!』その場にあるCDだけでDJ?欲しい曲はその場で買える新感覚パーティー!

このブログでは『人生をもっと楽しくする生き方』をテーマに、人生を全力で楽しむために、日頃から考えている事や、気付いたことのシェアをしていきたいと思っています。

誰かの人生をほんの少しでも楽しいものに出来たら幸いです。

生まれてから今までのこと

幼少期

長野県安曇野市で産まれました。

3370gらしいです(誰得情報)
今、隣に母が居たので聞きました(笑)

あまり覚えておりませんが、めちゃくちゃヤンチャだったようです。

カエルとかクワガタとか捕まえては、キャッキャしてた感じの。
まぁよくいる田舎のガキンチョって感じですね。

小学校にあがると、今度はゲーム三昧。
初代ポケモンが出た頃だったので、ポケモンやりまくってましたね。

サンダースがイチオシポケモンで、レベル100になってもステータス上げるために経験値稼ぎまくってました(分かる人には分かる)

あとは、デジモンとかたまごっちとか。
MTGや遊☆戯☆王といったカードゲームもやりました。

もちろん、アニメも見まくってました。
幽遊白書、スラムダンク、忍空、魔法騎士レイアース、スレイヤーズ、美味しんぼ、GS美神、etc

もう上げだしたらキリがないですが、当時はゴールデンタイムにアニメがやっていたので、
夕飯食べながらのアニメは至福のひとときでした。

今思えば、この頃からコンテンツの消費量は多かったと思います。

運動するよりは、家でゲームしたり、カードバトルしたり・・・

ミニバスにも入っていましたが、
行くとニチアサが見れないという理由でほとんどサボってました(笑)

ドッジボールとか何が楽しいのかさっぱりって感じで、地区大会の練習とかめっちゃ嫌でしたね。
早く家帰ってゲームしたいってずっと思ってました。

まぁ運動嫌いってわけではなかったんですが、ゲームとかアニメの方が好きだったんですよね。
限られた時間なら、アニメがみたい!と思ってました。

現在放送中のものだけでは飽き足らず、親にせがんでレンタル屋さんに連れてってもらっては、昭和仮面ライダー、昭和レンジャー、サムライトルーパーやゴーショーグンなど片っ端から見てました。

楽しかったですね~
ほんと夢中で見てました。

中学校編

ゲーム・アニメ三昧の小学校生活を終え、中学生になったコバヤシ少年。

相変わらず、ゲーム・アニメの日々。
部活はミニバスの延長でバスケ部に入りましたが部活に出ると夕方ポケモンが見れないという理由でほとんどサボってました。

そんな生活を続け、中学二年になったある日、
ついに僕は、あのゲームと出会ってしまうのです。

今や泣きゲーの代名詞とまで言われる「Key作品」

Kanon(全年齢セガサターン版)です!

いや~衝撃でした・・・

こんなゲームあったのかと。

FFやドラクエ、聖剣伝説などしかやったことが無かった純粋無垢な少年が、この日「恋愛アドベンチャー」というジャンルを知ってしまったのです。

・・・

親と弟に本気で心配されるレベルで泣き尽くしたあと、当然の流れで全年齢版AIRをクリアし、そこから、シスプリやときメモといった王道系恋愛アドベンチャーゲームを貪るようにプレイしました。

思春期の多感な時期もあいまってか、僕の心には形容しがたい感情が生まれていました。

どの作品もとても新鮮で、とても楽しかった。
ただただ、楽しかった。

僕にとっての分岐点の一つは、間違いなく中2のあの頃でした。
あの時、Key作品に出会わなければ、今の僕はないと思います。

そして、オタクカルチャーにどっぷりハマったまま、僕は高校生になりました。

このままオタク街道まっしぐら!

と思いきや・・・

遅れてきた自意識が、僕を高校デビューへと誘うのでした。

高校生編

オタクへの第一歩を踏み出したコバヤシ少年。

しかし、遅れてきた自意識によって、僕はアニメやゲームの世界から離れていったのでした。

高校が私服高校で、周りにお洒落な人が多かった事もあり、自分の服装がめちゃくちゃ気になりだしてしまったのです。

その頃から、異性に対する意識や、自分に対する意識も変わっていったと思います。

読む雑誌も、ファミ通からサムライ(スト系の雑誌)へシフトしていき、アニメも全く見なくなりました。

ゲームもFFとか、みんなでワイワイ話せるメジャータイトル以外は全くやらなくなり、その代わりに、服のブランドには詳しくなっていきました。

今まで容姿なんて気にしたことなかったのに、、、

これが俗にいう、高校デビューってやつ?

都市伝説だとばかり思ってましたが、まさか自分に起こるとは(笑)

✳︎

帰宅部でいいや〜と思っていた高校一年の夏、ついに自分の体型が気になりだしました。

中学でも運動を一生懸命してきたわけではないので、筋肉もほとんどない、ぽっちゃりではないが、スラッともしていないという感じ。

このままでは彼女の1人も出来んぞ!と、僕は、体を絞るというただそれだけの理由で、当時は珍しかったダンス部に入部しました。

最初は体を絞る程度で考えていたダンス、これが始めてみるとめちゃくちゃ楽しい!!

こうして僕はダンスに、そして、HIPHOPという文化にどハマりしていきます。

このHIPHOPとの出会いが、僕の人生をさらに変えることになりました。

僕の人生の分岐点の二つ目。

この出会いがなければ、今の僕はいません。

今でも仲のいい人達は、みんなここの繋がりです。

しかし、HIPHOPにどハマりする一方、アニメやゲームからは遠ざかるばかりでした。

アニメ・ゲーム=子供のもの

という考えが、心のどこかに芽生えていたのかもしれません。

そうして、アニメ・ゲームをほとんどしなかったリア充パリピ青年コバヤシリョウは、大学生になり、あのアニメと出会うのでした。

僕の人生の第三分岐点となるお話。

大学生編

ダンス三昧の毎日を過ごしていたコバヤシ青年は、ついに大学生になりました。

普通、将来なりたい職業のために、学校に行って学ぶと思うのですが、ダンス以外に興味がなかった僕は、地元でダンスを続けたいからという理由だけで、地元の大学に進学しました。

当時の僕は、何かを学ぶという意識はほぼなく、ダンスたくさんできるぜ!ってくらいの意識しかなかったと思います。

学費を援助してくれた親には、本当に頭が上がりません。。。

今思えば、もっとよく考えて、たくさん勉強してれば良かったなぁと思います・・・

✳︎

そして時は過ぎ、大学2年の夏。

ダンス三昧だった僕に、3回目の人生分岐点となる出来事が訪れました。

いつものように、ダンス仲間と飲み会をしていたとき、途中から参加してきた友達が、あるDVDを借りてきたのです。

その名も「涼宮ハルヒの憂鬱」

・・・

はい、、、あのオタク量産アニメに、ここで出会ってしまうのです。

いや、衝撃でしたね。

・・・

はじめてKanonをプレイした時と同じくらいの電流が走りました。

なんだこれは、と。

めちゃくちゃ面白いじゃないか、と。

高校生の時、記憶の片隅に追いやったあの感情が、音を立てて舞い戻ってきた、そんな感じ。

ハルヒだけでは飽き足らず、深夜アニメ系ジャンルを片っ端から視聴していきました。

ひぐらしのなく頃に、ローゼンメイデン、シャナ、みなみけ、紅、ゼロ使、etc…

今までの時間を取り返すかの如く、アニメを貪るように見続けました。(落とした単位は数知れず・・・)

改めて、僕はアニメが好きなんだなぁ〜と自覚しました。また、アニメ好きを公言した事で、アニメ好きの人脈も広がっていきました。

今でも一緒にイベントをやっている友達と仲良くなったのもこの頃。

引き寄せの法則ってあるんです。

好きは隠すより公言したほうが、同じ趣味の人が集まってくる。仲間もたくさんできる。当たり前のことですが、この時に学んだ事です。

それから、僕は好きなもの、興味のある事は、どんどん人に話すようにしてます。

✳︎

脱線しましたが、アニメ熱を取り戻したコバヤシ青年は、アニメとダンス三昧の大学生活を無事終了し、いよいよ社会人へと成長していきます。

激務のシステムエンジニア時代、そして、独立決意に至るまでの物語。

社会人編

ハルヒと出会い、再び、オタク活動に勤しむようになったコバヤシ青年。
単位を落しながらも、なんとか無事に大学を卒業し、新社会人となりました。

正直、大学時代はダンス・アニメに明け暮れており、やりたい職業とかは特にありませんでした。
ただ、なんとなく、エンターテインメントに関わる仕事がしたいな~という想いはあったんです。

その時は、なんでそう思うのかなんて考えたこともありませんでしたが、今思い返せば、ダンスもアニメも『見る人を喜ばせる、楽しませる』という共通点があったんですよね。

僕自身、誰かを楽しませる事に喜びを感じていたんだろうな~と思います。

当時は、まだガラケーの時代(モバゲーもない時代)でしたが、僕は、何を思ったか、これからは携帯ゲームが来る!と漠然に思っていたので(これ当たったので僕すごくない?w)東京の携帯ゲームの会社を受けまくっていたのですが、当然の如く全落ち(笑)

当たり前ですよね・・・

そもそも、プログラミングについて何もしらない上に、勉強すらしてない。
三流大学で頭も良くない。

やってきたことといえば、ダンスとアニメ見てたくらい(笑)

なかなか現実は甘くないな~と思いつつ、でも絶対これからIT社会にはなる!と思っていたので、とにかくシステムについて色々学ばせてもらおうと、教育がしっかりしていそうな地元の一部上場のIT企業に就職しました。(プログラミングとかしっかり学んでから、ゲーム会社に就職しよう!という考えでね)

・・・

・・

っていうのが、精一杯の良い解釈。
本当は、そこしか受からなかったんです(笑)

ね?絵に描いたような落ちこぼれでしょう?

まぁそんなこんなで、なんとか就職出来て、研修したり、実務したりで、SEとしての知識・経験を蓄えていきました。

仕事自体は結構性に合っていたらしく、楽しかったんです。
僕は、楽しくないことを頑張って続ける能力0なので、楽しかったから、勉強も続いたんだろうな~と思います。

しかし、そんな楽しい時代も長くは続かず・・・
社会人1年目にしてSE特有のデスマ案件に投入されてしまったのです。

9時出勤、0時退社(終電)、土日込みという生活が1年ほど続き、身も心もズタボロになりました。

深夜1時00分に帰宅して、ご飯食べながら2時に寝るまでの1時間が僕に許されたアニメ視聴タイム。

地獄でしたね・・・
マジでなんのために生きてんのか分からなくなるレベルで。

最初は楽しかった仕事も、だんだん楽しくなくなってきました。

誰の役に立っているのかも分からず、
末端の末端の末端の仕事でやり甲斐も感じられず、
自分が出席する意味があるのか謎な会議に貴重な時間を奪われ、
上司から仕事の愚痴を毎日聞かされる。

毎日、このままで良いのか?僕は僕の人生を生きているか?と自分に問い続けていました。

本当にやりたいと思える仕事はまだ分からないけど、今じゃないことだけは分かる。

僕は「独立」という道を選ぶ決意をしました。

つまり、僕は誰かのためにとか、世の中の役に立ちたいとか、そんな大層な理由があって独立したわけじゃないんです。

確かに、やりたい仕事がしたいとか、誰かを喜ばせる・楽しませる仕事がしたいという想いもありました。

でも、本音は逃げです。

ただただ、今から逃げたかった。

仕事が嫌だからって理由で独立したっていい、キッカケなんて何だっていい。

この記事にも書きましたけど、とにかく自由に憧れて、それで独立を決意したんです。

僕のスキルを活かせて、フリーランスでもやっていける職業ってなんだろうって考えて、やったことないけど、WEBデザイナーならやれそうだし面白そうって思って、そこからは独学で勉強しました。

激務案件からは1年で移動になったので、定時に帰って夜まで勉強って生活を2年くらい続けました。

不思議なもので、
実働時間は激務時と変わらないのに、楽しい未来が待ってると思えるだけで、全然苦じゃなくなるんです。

実際、大変だったけど、この期間が苦しいと感じたことは一回も無かったです。
仕事を辞めてからの自由な生活を想像しながら、夢中で勉強しました。

そして、僕は3年間努めた会社を退職し、フリーランスのWEBデザイナーとしての活動をスタートさせるのでした。

フリーランス編

3年間努めた会社を退職し、フリーランスになったコバヤシ青年。
待ち受けていたのは時給換算50円という過酷な現実でした。

勉強期間はそれなりにありましたが、実績は0。

当然、うまくいく自信なんてありませんでした。
まぁなんとかなるでしょ!と、自分を騙しながらやるしか無かった。
そんな感じです。

独立後、まず始めに行ったのは、自分のホームページを作る事。
何はともあれ、仕事を取らないといけないと思った僕は、ホームページから集客をしようと考えたのです。

名刺デザイン、各種印刷物のデザイン、ホームページ作成、Facebookページ作成、etc…
自分で出来そうなことは全部盛り込みました。

しかし、すぐに仕事が来るなんてことは無く、3ヶ月程は仕事0の状態が続きました。

ブログを書いたり、
ホームページをせっせと更新したり、
その当時、思い付いたことは全部やっていましたが、仕事は来ない。

3ヶ月ほど耐えて、いよいよヤバイかな~と思っていた時、
フリーランスになって最初の仕事が舞い込んできました。

初仕事は「名刺」を作るお仕事でした。

両面フルカラーの名刺、100枚で19000円くらいで受けてたと思います。

念願の初仕事ですからね~
色々と考えて作りましたよ。

あ~だこ~だと、納得がいくまで何回も修正しました。
制作期間は、たしか1週間くらいだったと思います。

当時は休み無し、1日12時間は仕事してたので、

7日✕12時間=84時間。

外注先の印刷代を引くと、利益は14000円くらいだったので、

時給換算すると、

14000円 ÷ 84時間 = 166円!

・・・笑

効率とか利益率とかそういうの全然考えてなかったですからね。

もちろん、仕事がない期間もあるので、最終的な月の時給は50円とかになっていました。

恐ろしすぎますよね(笑)

まぁけど、仕事はないけど、WEBデザインの勉強はめちゃくちゃ楽しかったし、念願の自由を手に入れたし、ほとんど休みなく仕事してても、全然苦ではなかったです。

時給は酷いもんだし、先行き不安しかなかったけど、
それでも、未来への希望を胸に、腐らずにコツコツやってこれました。

まぁ好きだったから、夢中でやってたんですよね。

そして、1年が経ち、徐々に仕事が取れ始めた頃、とあるお客さんと出会いました。
古物商をしているお客さんで、買取の依頼をホームページから取りたいから、そのホームページを作って欲しいという依頼でした。

その方とは、同い年・同じ個人事業主という事もあり、会ったその日に意気投合。
お互いのビジネスの話をする仲になりました。

そして、話を聞いていく内に、

この買取事業は、自分の好きなアニメジャンルでやったら面白いんじゃないか?

と思うようになったんです。

この時作ったホームページが、今のアニエラの原型です。

そして、独立から4年が経ち、2017年2月1日に事業を法人化しました。

宅配買取・通信販売という今のスタイルに落ち着くまで、本当に色々なことがありました。
たくさんの失敗もしたけど、その分、たくさん学び、たくさん勉強しました。

ただ、やはり今振り返っても、苦しいとか、辛いと思ったことは無かったです。

大変だったけど、楽しかった。

その気持ちは、法人化して、人を雇うようになった今も、ずっと変わらず続いています。

「好きなこと×得意なこと」が仕事になる。

この記事でも書いてますが、僕が、好きを仕事にした方が良いと思う理由はこれなんですよね。

他人から見たら、死ぬくらい辛い努力も、好きなことなら楽しんでやれちゃうんです。

努力を努力と思わないってマジ無敵状態なので。

そして今、僕は【法人化編】を生きています。

この物語は、まだ始まったばかりなので、
3年後くらいに僕たちがアニメを作ったら、ブログに書こうかなと思います(笑)